サステナビリティ分科会 進捗報告
こんにちは。サステナビリティ分科会の俵藤です。
私たちサステナビリティ分科会は、両国におけるサステナビリティの捉え方の違い、そしてその違いが生み出された背景を明らかにすることを目標としています。
「サステナビリティは全世界が共有できるゴールである」という言説があります。
その根拠として、環境問題には越境的な性質をもつものが多いため、国際的な協力なしに環境問題を解決することは困難であるという事実があります。また、自然環境は生き物としての人間の精神と強い繋がりを有しているため、世界中の人間がある程度の共感を持って環境問題の解決を目指すことができるだろうという考え方もあるようです。
この言説はある程度確かなものであると私は考えます。実際に、サステナビリティの重要性は国際政治の舞台において繰り返し確認されており、多くの国がサステナビリティを目指すための何らかの協力体制を取っているからです。
しかしながら、各国が全く同じ「サステナビリティ」を目指しているのかというと、実はそうではないようです。国によって、サステナビリティに対する認識や考え方はかなり異なるようなのです。
実際、私が学習してきた国連外交交渉においては、サステナビリティという言葉の定義は曖昧なものにされています。定義を敢えて緩やかなものにしておくことで、各国が自国の考える「サステナビリティ」を目指す余地を残しているように思えるのです。
私達サステナビリティ分科会のメンバーは、こうした国家間の認識の違いに強い関心を抱いています。
そこで、北京セッションと東京セッションにおける徹底的な議論を通して、日本の人々と中国の人々の間に存在する「サステナビリティ」の捉え方の違いとその背景を浮き彫りにしようと考えているのです。
北京セッションのキックオフが約10日後に迫った現在、私たちサステナビリティ分科会は、議論を通してこの認識の違いをしっかりと明らかにできるように最終調整を行っています。ですが、これがかなり難しいのです。
認識の違いを明らかにするための問いを作ることは、一般に難しいものです。認識というものは自分が身を置く環境の中で時間をかけて形成されるものであり、普段自分の認識を見直すことはないですし、どこを見直すべきかもわからないものです。
加えて、サステナビリティに関する認識を明らかにする問を作るのは特に難しいものです。サステナビリティに関して抽象的に論じることは非常に難しいため、具体的な問題(気候変動、大気汚染など)を取り上げつつ問いを作るのが順当です。しかし、具体的な問題を取り上げると、具体的な問題に関する議論に集中してしまい、本来の目的である「認識の違いを明らかにする議論」が満足に行えない可能性が高くなってしまうのです。
現在は、しっかりと認識の違いを浮き彫りにすることのできるような議論を目指して、ああでもないこうでもないと悩みながら調整を進めているところです。
残された準備時間を有効に使いながら、より適した問いを検討していきます。
議論の内容はその流れによって変質していくものですが、必要な時にうまくアドリブを利かせられるようにするためにも、必要な準備をしっかりと行っていきたいのです。
北京セッションの開催がいよいよ間近に迫り、サステナビリティ分科会は悩みながらも楽しみつつ議論の準備を進めております。
サステナビリティ分科会の挑戦とその成果に、ぜひご期待ください。
俵藤あかり